【自作小説】雫

自作小説

夏の日に出会った、暑さに弱い少女との出会い。

ちょっと切ないけれども、どこか温かい物語。

昔書いた小説を修正して公開してみました。

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「あちー」
暑さのピークとなる、昼過ぎの時間。

じりじりと容赦ない太陽光が身を照らし、アスファルトは陽炎に揺らめいているようにも見える。

周囲では蝉の大合唱が響いており、それを聞いてると気持ちも滅入る。

この季節は基本的に半袖に短パンと言う服装の為、夏が終わった頃には自然と肌に境界線が焼き付いているだろう。

夏休みに入ってまだ二週間ほどなのだが、退屈な学校の授業が休みになるというのは嬉しい。

だがその分、宿題と言う嫌なおまけも付いてくる。

その宿題を今日は朝からやっており、その気分転換がてら外に出てみた。

今朝やっていたニュースによると今年も猛暑が続くらしい。

全く困ったものだ。

今日の最高気温は、三十五度近くまで上がるらしい。

その熱さからか、見渡したところ通行人の姿は殆どない。

自分自身本来ならこの暑さの中わざわざ出歩くこともないのだが、俺にはある目的があった。

家を出て歩いていると、やがて十字路に差し掛かり右へと折れる。

その先の道は長い上り坂になっており、住宅街を抜けた先まで伸びているその道は、鬱蒼とした林への入口へと繋がっている。

その果てを見た瞬間、坂を上るのに嫌気が差してしまった。

だが進まないことには目的地まで辿り着けない。

「はぁー」

全身からは汗が沸々と生まれ、服を濡らしている。

襟元をつまんで内部に風を送り込む様にパタパタとさせたが、気休めにもならない。

坂を上りきって林の中に入る。

俺は立ち止まり、目の前を見据えていた。

そこには一本のまっすぐな道が伸びている。

至る所に草が生えており、道と呼べるのかも怪しいくらいだ。

木々に囲まれた周囲からは、鳥の鳴き声や木々のざわめきが聞こえており、幾分か暑さが和らぐような感じがした。

「ふぅーーっ」と息を吐いて気合を入れ、再び歩き始めることにする。

この道の先は、山を上る様に伸びている。

進んで行くにつれて道に生えている草がどんどん増えてきて、行く手を阻む。

それらを掻き分けて俺は進む。

苦戦しながらも10分ほど進むと、やがて前方に明るい光が見えた。

それに呼応して、心臓が高鳴る。

そして無意識の内に歩みも速くなってしまう。

やがて見える光は大きくなっていき、俺は大きく開けた空間へと出た。

上空から差し込むその光量の眩しさに、思わず目を細める。

やがてだんだん慣れてきて目を開くと、青空から射す光を受けてきらきらと輝いている泉がそこに広がっていた。

地元でもこの場所を知っているのは、おそらくほとんどいないだろう。

小学六年の頃、昆虫採集で林の中を1日中彷徨っていたら、たまたま見つけたのだ。

静かで美しい景色が気に入り、俺はそれ以来時々ここに通っていた。

それから時が経ち、一週間ほど前、あいつに出会ったのだった。

水際にあるそれなりに大きな石の一つに、あいつは座って物憂げな眼で泉を眺めていた。

純白の着物に身を包み、腰まで伸びる銀色の髪は輝いて見える。

見つめる俺の視線に気づいたのか、あいつは笑顔で手を振り、立ち上がってこちらに駆けて来た。

それに答える様にして、俺も小走りで駆け寄って行く。

「海斗! 今日も来てくれたんだね。嬉しい!」

「おう」

彼女の名前は藤崎薫と言う。

透き通るような白い肌に、可愛らしい太陽のような明るい笑顔。

そんな薫に俺は惹かれた。

一目惚れと言うやつかもしれない。

それ以来、薫に会う為に俺は毎日ここに通っている。

「今日は何を話してくれるの?」

薫は期待に満ちた目で、そう問いかけてきた。

「そうだなぁ。じゃあ海について話そうかな」

「海って何?」

「えーっとな……」

薫はびっくりするくらい、日常の知識を知らない。

独特な育てられ方をしたのだろうか。

ずっと家の中にいたとか?

家庭の事情を色々詮索するのも悪いかと思い聞けずにいる。

いろんな知識を薫に教えるのが、最近俺の一つの役目となっていた。

「ねえねえ早くー」と急かしながら、服の袖を引っ張ってくる薫に苦笑いを返しながら、話し始めることにした。

 

次の日。

鬱蒼とした木々の中に伸びる、秘密の道。

その道に入った時、薫はそこにいた。

「いらっしゃい」

満面の笑みでそう言う薫。

「お前今日はどうしてここにいるんだ?」

「ほら海斗、早く行こ!」

「おいちょっと引っ張るな」

薫は俺の手を取り突然走り出した。

突然の出来事だった為、俺はバランスを崩して思わず転びそうになったが、何とか堪えた。

態勢を立て直し歩みのスピードを上げて、薫の横に並ぶ。

「突然目の前にいてちょっとびっくりしたぞ」

「ごめんごめん。早く会いたかったからさ」

照れもせずあっけらかんとそう言う薫の表情は、木々の間から差し込む太陽の光に照らされ、より一層輝く明るい笑顔となっている。

前髪は汗によって張り付き、滴る汗は綺麗な輪郭を辿り、きらきらと輝く滴となる。

手から伝わるのはまるで氷の様なひんやりとした感触。他人の体温と比べたらかなり冷たいのではないかと思うのだが、女子と手を繋ぐ経験というのが薫が初めてなので、他人と比べようもない。

そんなことを考えていたら、光を受けて輝く広大な泉が広がっている、広い区間に辿り着いた。

幾度となく見慣れた光景だ。

「お前この場所好きだよな」

「うん大好き! 海斗はここ嫌い?」

そう問う薫の表情は不安げに曇っている。

「嫌いじゃないよ。俺も大好きだ」

俺はこの場所が大好きだ。薫と出会えた場所でもあるのだから。

「良かった」

薫は二コッと柔らかな笑みを浮かべた。

その笑みを見て、心臓を鷲頭掴みにされた様な衝撃を受けた。

この感情は……。

それからしばらく二人手を繋ぎ、俺と薫は泉を眺めていた。

隣には薫がいる。そんな幸せな時間が流れて行く。

長くも短かくも感じられる時が過ぎた頃突然右肩に、がくっとした衝撃が伝わってきた。

と同時に、右手に伝わっていた薫の冷たい手の温度も離れた。

驚いて視線を落とすと、薫の足元には大きな水溜りが出来ており、徐々にその大きさは増している。

見ると、足、手、顔など晒されている素肌の至る部分からぽたぽたと水滴が落ちている。

「うっ……ひうっ」

薫は嗚咽を漏らしていた。

瞳を両手で覆っているが、その隙間からはとめどなく涙が溢れている。

「お前……体が……?」

「見ないでっ!」

そう大声で叫ぶと、俺に背を向けうずくまってしまう。

その背中は一層小さく見えた。

「どうしたんだよ……?」
「ひうっ……んっ」

突然の出来事に、俺は頭が真っ白になりながらも質問してみたが、返ってくるのは嗚咽のみだ。

俺はしゃがみこんで、落ち着かせるようにその背中にそっと右手を添え、出来るだけ優しく問いかけてみた。

「大丈夫か?」

こんなことしか言えない自分が情けない。何か重大な危機が薫の体に起こっているのは痛いほど感じられた。

でも、どうしたらいいか分からない。

背中に触れた右手が焦りと悔しさに震える。

「……れて」

「えっ?」

小さな声で発せられたその言葉を、最初聞き取れなかった。

その雰囲気を察したのか、薫は再び小さく呟いた。

「ごめん。私のことはもう忘れて」

儚くも消え入りそうな声だったが、その言葉はやけに重く、心に響いてきた。

「『忘れて』ってどういう意味だよ……」

一人呆然としていると、薫は震える両足でゆっくりと立ち上がり、一人泉へと向かって歩き出した。

純白の着物から覗く足首は、真っ白で恐ろしく細い。

やがてその体は水の中に入って行き、腰上まで浸かった。

俺は何も出来ないのだろうか。

このままだと、薫には一生もう会えない様な気がする。

確証は無いが、はっきりとそう感じられた。

爪が食い込む程きつく両手を握りしめ、己の無力さを呪っていた。

(薫を失いたくない!)

次の瞬間には、俺は無意識のうちに飛び出していた。

「薫っ!!」

びくっと肩を竦ませ振り向く薫。

俺の姿を捉え驚きに目を見開いている。

何か喋ろうとしているのか、唇がわなわなと震えている。

水を掻き分け、転びそうになりながらも必死に薫の元へと進んで行った。

やがて薫のもとに辿り着き、その細い体を抱きしめた。

背中に回した腕には氷のように冷たい感触が伝わってくる。

「海斗、私もう……!!」

俺は薫の唇を自分の唇で塞ぎ、言葉を封じた。

とても柔らかい、初めての感触だ。

「んっ……!!」

薫は俺の腕の中で必死にもがいている。

つい今しがたしたことを、自分でも信じられなかった。

しかし時間は戻らない。

それに、後悔はしていない。薫がどう思ってるかは分からないが。

「薫」

しっかりと薫を正面から見据える。その顔は涙で濡れ、その流れる悲しみを見ていると、ズキズキと心臓が痛んだ。

決心した。今日ここではっきりさせよう。

「薫と会ってから、この一週間、毎日すごい楽しかった」

返事はない。

薫は涙を湛えた瞳で、真っ直ぐにこっちを見ているだけだ。

「毎日いろいろ話して、ここに来る理由が、その内変わり始めたんだ。最初は何が変わったのかはっきり分からなかった。でも今は分かる」

ここで一回言葉を切り、改めて薫のその瞳をしっかりと見据えた。

心臓にはさっきからハイペースで、血液が送り出されており、脈打つ音がうるさく感じる程だ。

言葉を発しようとしても、喉につっかえたように上手く出てこない。

かなり長い時間そうしていたかもしれない。

やっと意を決し、口を開く。

「俺は、お前が好きだ。俺の彼女になってくれないか?」

それを聞いた薫は、目を大きく見開き、驚いている様だった。

「か、彼女って……。だって私は……何で私なんか……」

「俺は薫に惚れた。だから」

「バカッ! 私なんかに惚れないでっ! ばか……」

薫は両手で顔を覆って泣き出してしまった。

俺はその小さな頭を、自分の胸に引き寄せた。

薫から生まれる雫が俺の服を濡らしていく。

その一滴一滴から薫の鼓動が伝わってくるような気がした。

「ずっと一緒にいよう。な?」

薫は迷っているのかしばらく反応を示さなかったが、やがてゆっくりと頷いた。

その時、今まで忘れていた大事なことを思い出した。

と同時に、全身の血が引いていく様に感じた。

背中にまわしていた腕を解き、俺は焦って問いかけた。

「薫! そういばお前体が」

「……うん」

俺を見上げる様にしているその顔から伝うのは、涙だけではなかった。

溶けている。

その表現しか思いつかない。

「ごめんね」

無理矢理な笑み。

その数瞬後には表情を失い、薫の体は後ろにぐらりと傾いた。

慌ててその体を支えよう腕を伸ばしたが、指先が僅かに触れただけで、薫に覆いかぶさるようにして水の中に倒れ込んでしまう。

無数に漂う泡の視界の中、必死な思いで腕を伸ばし、その体を捕まえることに成功する。

だがここで違和感を感じた。

(おかしい)

立っていた時、水かさは腰辺りまでしかなかった。

なのにさっきから一向に泉の底に体が着く様子はない。

信じ難いことに、どんどん深く潜って行っているのだった。

そしてさらに衝撃が襲う。

「……!!」

底の方を見てみると、そこには眩しい程の光で満ちていたのだ。

予想外の光景に、思わず口の中の空気を吐いてしまった。

「ごぶぁぼ……」

口からは無数の大きな泡が生れ、水面へ上がって行く。

薄れゆく意識の中、視界を銀色の髪が漂った。

(薫……)

俺の意識はそこで途絶えた。

 

「か……い……、か……いと……」

暗闇の中、どこからか俺の名を呼ぶ声が聞こえる。

「うっ……」

「海斗!」

意識がだんだんとはっきりとし、ゆっくりと瞼を開けると、目の前に薫の顔があった。

「ん……薫?」

「馬鹿っ! 海斗のバカ……」

どうやら俺は寝かされているようだ。

周りを見渡してみると、どうやら室内の様だった。

見た所、周りを山に囲まれた田舎にある様な感じの、木を基調とした家のようだ。

とその時、しわがれた声を掛けられた。

「意識が戻ったか」

上半身を起こすとそこには、そうとう歳が行っているであろう、お婆さんが立っていた。

「あなたは?」

「私のお婆ちゃん。で、ここは私の家」

やっと泣き止んだ薫が答えた。

家? ってことは俺気を失って、ここまで薫に運ばれたのか。

情けねえな。

「海斗意識失ってるんだもん。私焦っちゃったよ。急いで村まで行って男の人に運んでもらったんだ」

表情に出ていたのか、俺の内心を読んだ薫はそう答えた。
「村ってここのここか?」

「うん。そうだけど」

妙だ。

あの泉がある林に隣接しているのは俺達の町だけであり、村などは存在しないはずだ。

「少年。ここをお前の世界と勘違いしているようじゃな」

このお婆さんは何を言っているのだろうか。

もしかしたら、泉で溺れて意識を失って、今のこの状況はその夢の途中なのかもしれない。

そこまで考えた時、無理やりに少し安心したのだが……。

「ここは人間界ではない。別の世界、平行世界とでも言おうかの。その中でここは雪の国にあたる」

「はい? 何言ってるんですか」

「ちゃんと説明してやるから安心せい。わしは知識を深めるのが唯一の楽しみでな、人間界のことも色々と知っておるからの」

こうして俺は、お婆さんから様々な話を聞いた……。

ザッザッ……。

婆さんが出してくれた紺色の着物に着替え、俺は外を歩いていた。

広がる景色は一面銀幕の世界。

家や地面の、本来の色を見つけ出すのが難しいほどだ。

時々吹く冷たい風が火照った体に心地良い。

幾分冷静になった頃、一回話を整理してみることにする。

今いるこの場所は、俺の住んでいた世界とは違う別の世界。

その中でもこの村は雪の国の中にある小さな村。

ここで生きている人達は皆、霊力を持つ雪男や雪女だという。見た目は普通の人間なのだが。

俺がここに来た理由は、古くから伝わる儀式が関係しているらしい。

この村では、あらゆる災厄から身を守るという意味を込めて10年に一度、村人から生贄となる者を選ぶ。

この村に伝わる伝承では、村の外れの泉から神の下へと生贄の者を送り出すのだそうだ。

そして今回、その生贄に選ばれたのが薫とのことだった。

もちろん、いくら現実離れしたこの世界だからと言って、村にある普通の泉が別世界に繋がっている訳はない。

そこで使われるのが、村人達が持つ霊力だ。

鍵開師(けんかいし)と呼ばれる一部の高位な者は、次元を開く術を身につけているらしい。

その力で泉に術を掛け、そこから生贄の者を送り出すとのことだった。

だが泉が繋がっている先は神の所などではなく、俺達人間が生きている人間世界だった。

俺がなぜこちらの世界に来れたのかということについてだが、生贄の儀式は行われると、直後に泉に掛けられた術は解かれる。

だが最近はは次期の鍵開師を育てるための練習で、泉に術を掛けてたまたま次元が開いていたため、そのせいで俺と薫はこっちに来てしまったとのことだった。

その時、村のあちこちから、ふと視線を感じた。

ある人は恐れるようにチラリと。

ある人は威嚇するかのように堂々と。

そんないくつもの視線が向けられているのだった。

そして所々、囁くような声が聞こえてくる。

「あの子、薫さんとこのお婆さんが言ってた『人間』ってやつでしょ? なんでこの世界に」

「それに薫ちゃんも戻ってきたんでしょ? 薫ちゃんには可哀想だけど、このままだと災厄が起こるんじゃないかしら……」

好き勝手言いやがって。

俺だってこっちに来たくて来たわけじゃない。

それに薫をあんな風に言うなんて。

内からは怒りが沸々と沸き上がり、怒気の含んだ瞳を隠そうともせず、俺はそいつらを睨んだ。

睨まれた方はわざとらしく視線を逸らし、それぞれに散って行った。

生贄? 馬鹿じゃないのか。

命を何だと思ってるんだ。

モヤモヤとした言感情が渦巻き、俺はその場から離れようと全力で走りだした。

 

村全体を見下ろすことが出来る高台。

1人座ってぼんやりと広がる景色を眺めていた。

さっきから雪の積もった地面の上に直に座っていたが、不思議と冷たさは伝わってこなかった。

すでに感覚が麻痺しているのかもしれない。

グッグッ……。

その時、雪を踏みしめる音が聞こえた。

振り返るとそこには、雪にも負けない様な白い着物に身を包んだ薫の姿。

白い息を弾ませながら、小さな足取りで俺の元まで来ると、横にちょこんと腰を下ろした。

その透き通るような真っ白の精緻な横顔は、何かを決心しているかのように真剣な表情をしている。

やがて薫は俺に向きなおり、薄くピンクに色付いたその唇を開いた。

「海斗に言わなきゃいけなことがあるの」

初めて聞く真剣な声音に若干驚きながら、俺も気持ちを引き締める。

「……なんだ?」

「海斗、向こうの世界にいる時キスしてくれたでしょ? 海斗からすれば普通のキスにしか思ってないかもしれないけど、あの時ね私達『氷華の口づけ』を交わしたの」

「氷菓の口づけ?」

「自分の手を見てみて」

突然なんでだ? と思いながらも自分の手を見てみる。

次の瞬間、俺は驚愕した。

手が……凍っている……。

あまりの信じ難い出来事に、頭が真っ白になり何も考えられない。

叫ぶことさえ忘れていた。

「『氷華の口づけ』って言うのはね、本来婚姻の儀の際に行うの。将来を誓い合った者同士が、その絆を確かなものへとする為に行う重要な行事の一つで、私達雪の国に生きる者同士だったら何も問題は無いんだけど……」

そこで薫は言葉を噤んだ。

思案顔で、続ける言葉を選んでいるようにも見える。

数秒無言の時間が続き、やがて薫は再び話し始めた。

「口づけの相手が人間となると、事情は変わってくるの」

「……?」

「私達の持つ氷の霊力が、人間の血を凍らしてしまうの。そして全身が凍りついた人間は体温を維持出来なくなり、死んでしまう」

「じゃあ俺……」
死。

今まで意識したこともなかった。

その事実が突然目の前に突きつけられても、どう受け止めていいのか分らない。

「ううん。海斗が思ってる事態には、直ぐにはならない。安心して。私の魔力はこの村の中では極端に弱いんだ。だから今すぐ凍りつきはしないと思うけど……」

そう言う薫の表情は辛そうだ。

目には今にも溢れそうなほど涙が溜まっている。

「その内、死ぬのか?」

薫は涙を溢れさせながら、小さく、本当に小さく頷いた。

俺は改めて自分の手を見てみた。

この僅かな時間で先ほどよりも色は白っぽくなり、指は外側の二本しか動かせない。

「そっか……」

俺は地面に倒れ込み、上空を見る。

どんよりとした色の空からは、今にも雪が降ってきそうだ。

ゆっくりと目を閉じた。

聞こえてくるのは薫の泣く声。

これからどうすればいいのだろう。

自分で自分に問いかける。

そのまましばらく考え続けた。

横を見ると薫はとっくに泣き止んでおり、疲れたのか眠っていた。

時が止まってしまったかの様な、静かな時間が過ぎて行く。

 

……そして、朝を迎えた。

「本当に良いのじゃな?」

「はい。構いません」

まだ日も昇っていない薄暗い早朝。

俺は現在、村の外れにある、泉の中心に立っていた。

1晩色々と考えた結果、俺は自分が生贄になることを決めた。

俺がいなくなれば村の人間も安心するだろう。

もう1つの理由もあるのだが。

その決意を唯一普通に接してくれる、薫の婆さんに伝えたのだった。

婆さんは最初こそ驚いていたが、やがて納得してくれた。

元はと言えば、俺はここにいてはいけないのだ。

俺が生贄になれば、薫の命もこれで助かる。

それに……もしかしたら、この泉を通れば人間界に帰れるかもしれない。

だがそれは、薫との永遠の別れをも意味している。

その時、婆さんが問いかけてきた。

「仮に人間界に辿り着いても、その体では数日と持たない内に命は消えてしまうだろう」

「分かってます。薫だって人間界の暑い気温の中で1週間耐えたんだ。俺だって頑張れば少しは……」

「まあ、薫は水分をその体に吸収することで、体の侵食をとめられたからじゃ。じゃが、お前さんはその機能を持っていない。凍り付いて行くだけの体じゃからな」

「もう決心しています。儀式、始めてください」

「……分かった、かなり久しいから上手く行くかは分からんが」

婆さんは以前、鍵開師をやっていたとの事だった。

普段着である着物から着替えていて、地色が朱で、雪の結晶の様な模様がちりばめられている装束を着ていた。

俺は緊張に息をのむ。短い間しかいなかったが、一面銀世界の、幻想的な雰囲気を持ったこの世界は好きだった。

だがもうこれでさよならだ。

とその時、泉の水に、俺を中心にして渦を巻くようにする流れが生まれた。

婆さんは祈る様に両手を合わせ、目を閉じて呪文の様な言葉を呟いているのがかろうじて聞き取れる。

やがて儀式は佳境に入って来たらしく、水は淡い青白い光を宿し始め、徐々に光量、大きさ共に増していく。

俺は目を閉じた。

次に目を開けた時には上手く行けば人間界だろう。

元の世界に戻れかもという希望が嬉しくもあり、と同時に薫と別れるのが悲しくもあった。

「……海……斗」

その時、俺を呼ぶ声が聞こえた様な気がした。

今もまだあいつは高台で寝ているはずだから、声が聞こえるはずはないのに。

やっぱり俺は薫のことまだ好きなんだな。

「おい! 何やってんだい!」

「海斗! 私も、私も一緒に行く!」

空耳なんかじゃない。

俺は驚いて視線を向けた。

そこには水を掻き分けて俺の元へと進んで来る薫の姿。

押し倒されたのか、婆さんは地面に尻もちをついて呆然としている。

薫は進んでくる勢いを殺すことなく、そのまま俺に抱きついてきた。

氷のように冷たい感触が全身に広がってくる。

「勝手なことしないで! このまま別れたくないよ。私の彼氏なんでしょ? だったら最後まで責任持ってよ……」

俺の胸に顔をうずめ泣きじゃくる薫。

俺は薫を泣かせてばっかだな。男として失格だ。

薫の頭に優しく左手を乗せ、軽く撫でた。

右手は完全に凍り付いており、左手も半分既に自由が利かないので、上手く動かせないのがもどかしい。

「分かった。責任はしっかり取る。もう悲しませたりするようなことはしない。こんな俺だけどさ、これから先、ずっと付いてきてくれるか? 」

泣いていた顔を上げこちらを見て、優しく微笑む薫。

その笑みは、今まで見たどんなものよりも美しく、輝いていた。

「うん。宜しくね」

術は完成していたらしく、ここに来て光は一層その強さを増し、底が抜けるような感覚を感じた瞬間、俺の体は一気に水の中へと引きずり込まれた。

水と光の奔流の中、俺はしっかりと薫の体を抱きしめた。

かなりのスピードで俺達は底へと落ちて行き、やがて光の中へと吸い込まれていった……。

 

「う……ん」

どうやら気を失っていたらしい。

気付くと泉の水際に俺は倒れていた。

ゆっくりと視線を上げる。

そして次の瞬間、俺は驚いた。

情報として視覚に入ってくる物はどこまでも続く褐色の大地と、雲一つない青空。

「あれっ? ここどこ?」

薫も目を覚ましたらしく、きょろきょろと辺りを見回している。

「次元の扉が、人間界じゃない別の世界に繋がっちゃったんじゃないか?」

「お婆ちゃん失敗したのかな……」

かなり久々とか言っていたから、失敗はあり得るかもしれない。

「何にもないな……」

「そうだね」

ここは薫のとも俺のとも違う世界なのだろうか。

とにかく、歩いて確かめてみるしかないようだ。

若干ふらつく頭を押さえながら、ゆっくりと立ち上がり、薫に手を伸ばした。

「とりあえず歩こう。誰かいるかもしれない」

「うん。分かった」

薫は微笑みながら俺の手を取った。

俺の手はもうすっかり凍り付いているため、その感触は感じられない。

お互い手を繋ぎ、俺達は未知の大地を歩き始めた。

『この残り少ない命、精一杯生きてやろう』

そう決心しながら。

 

 

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